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三鷹で暮らした「赤とんぼ」の詩人 三木露風の歩み
三鷹で暮らした「赤とんぼ」の詩人
三木露風の歩み
(財)三鷹市芸術文化振興財団 編集・発行
■定価 1050円(税込) ■ISBN978-4-89984-089-3

内容見本(PDFファイル)

はじめに─「誠」の詩人、三木露風─
福嶋朝治


 象徴詩人三木露風、宗教詩人三木露風という称号は、かなり定着している。しかし、まごころの詩人三木露風については、今まであまり目にし耳にしたことがない。
 多分、露風の詩人としての活動が、カトリックへの回心をもって終了したという一般的な認識がその背景にあるのだろう。
 しかし、年譜を辿ってみても分かるとおり、函館の修道院を辞して上京したのが1924(大正13)年、三鷹に居を定めたのが1928年、40歳の時である。そして没年が1964(昭和39)年で、後半生の生活が40年に及んでいるのである。この後半生を便宜上「三鷹時代の露風」と言わせてもらえば、この三鷹時代の生活を閑居、隠棲という言葉で片付けてしまうのはいかがなものだろう。事実、この時代、彼が活発に創作していたことは、丹念な資料の調査研究によって次第に明らかになりつつある。
 それらの資料を通して浮かび上がってくる彼の大変顕著な精神的位相は、一つに鬼貫への傾倒にみられるような「誠の道」であり、もう一つは「気」を中心とする世界観である。
 上島鬼貫は、元禄時代に伊丹派の中心的存在として、独立不羈の俳風を鼓吹し、江戸の芭蕉に比肩するほどの俳人であった。露風の「鬼貫の人と俳道」(「雨窓点滴」所収)の説明を借りて言えば、儒学の造詣が深く、その影響を受けて、一代の俳風を立てるに至った俳人で、儒学に基づく俳諧を唱道し、生涯にわたって真の俳諧道を究めようとした求道の大家であった。
 彼が最終的に到達した、いわば大悟の境地とは、「まことの外に俳諧なし」という、儒教的な倫理観と俳諧道の有機的な結合であった。誠とは「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」という孟子の言を引くまでもなく、儒教倫理の基本的な徳目である。宇宙万物、天地自然を貫く真実で偽りのない理法が、人間にも備わっているものとして自覚反省し、その本性を日常において体現するところに、人生の最大の愉楽を見出せと孟子は説く。鬼貫はこの儒教の教えに導かれて、宇宙的な原理との合一の中に俳諧道の理想を見出そうとする。「乳ぶさ握るわらべの、花に笑み、月にむかひて指さすこそ天性のまことにはあらめかし」(『佛兄七車』序)という鬼貫の有名な一文があるが、それは思無邪、天真爛漫の天性をもって万物自然に共感共鳴することこそが、誠の俳諧道だという主張である。いいかえれば、技巧や修飾に作意を走らせようとする態度は、誠の精神の逸脱として戒めることでもある。
 可不可、上手下手にとらわれず、「俳諧はみづから述べて自ら心をよろこばしむ」(『佛兄七車』)ものという自足の境地こそが、鬼貫の究極の俳諧道であった。
 鬼貫についての露風の論及は彼の全集には前掲の一篇を数えるのみであるが、三鷹市所蔵の資料には、「鬼貫の句の評釈」や、「鬼貫に就て」などが存在していることによっても、三鷹時代の露風がどれほど鬼貫をおのれの生き方に重ね合わせて考えていたかを、思い知らされるだろう。彼は前掲書において「俳諧上の識見に於ては、或は、芭蕉よりも、まさったところがある」とまで称揚し、また「倫常の精神を体とし、行住坐臥、人格を磨き、さうして、俳句も亦此の精神からして作るといふ」鬼貫の誠の道をそのまま露風は人生の理想としたのであった。短歌集「白萩紅萩」の中の次のような短歌は、そうした露風の境地を端的に示しているものである。

 芭蕉翁俳聖なりと人の言ふ鬼貫をこそ我れはとりなむ
 誠なる道のみひじり心なれさは言はざればいつはりにして

 露風は、『白き手の猟人』に代表される象徴主義を唱導した頃、もっぱらその思想的・文学的根拠を芭蕉に求めた。それは、芭蕉の「風雅の誠」にあこがれてのことであった。しかし、三鷹の露風は芸術の領域から、それを支える倫理の世界に思いを致すに至ったのである。そこから彼は「独立不羈」の「心・詞一体」論者に尊崇の念を強めていったと思われる。「心にもない詩を作ってあざむくよりは、心ばかり、独り楽しむのは宜い」(『修道院雑筆』)という露風にとっての誠の俳諧についての信念は、終生変わらなかった。現在手稿という形で残されている後半生のおびただしい数量の詩作品は、いわばその「行住詩録」であった。
 もう一つの顕著な特徴は、生気論的な世界観である。たとえば「気体に見る春の印象」(『微光』所収)はそれを具体的に示している好例であるが、その第1節では、

 よきかな、光の中をあゆむことは、
 げに、そこには空しけれど、
 気体に魅力ありて、
 わが心を波だたすところの
 目に見えざるものあり。

 と、「目に見えざるもの」と「気体」との関係が歌われている。「新しき生命は、常に我等に宿らねばならぬ。生命は、必ずしも生理的の意味ばかりではない。真理の生命をも意味すると私は考へる」(『新しき生命』序)と生命の意義を説いているが、ここでいう「真理」は、「誠」という概念に置き換えてもいい。それが不可見なのは、それこそ「天の道」である宇宙の根本原理たる生命原体だからである。気はその現れであり、万象は気の凝縮体である。可視的な自然はいまだ空虚であっても、季節を司る天理はまず気によって生命を吹き込もうとする。それを受けて人間もまた自然と同様「新しい生命」を体内に宿らせるというのである。ほかにも「気」を歌いこんだ短詩は、彼の手稿の中に数多く見出すことができるが、紙幅の関係で武蔵野の四季の眺めに現れる造化の不思議を詠んだ俳句「象うつり気変化して秋過ぐる」(「遠霞荘の記」)を、参考までに引用するにとどめておこう。
 「気」については実は「body(肉体)の中に山川草木の気を観る者は象徴主義者なり」という「冬夜手記」(『白き手の猟人』所収)の一句を引くまでもなく、露風の象徴理論の根底にある世界観の中心思想であった。彼は若くして、無形の、手に取ることもできない、生命の幻影ともいうべき「気」を言葉で具象化することを願った詩人であった。しかし今老境に臨んで露風はそうした観念を棄て、精神作用を停止して、ひたすら生理的に、官能を鋭敏に働かせて、自然の気を己の気と融合させ適合させることで、生きていること、生あることを無条件に手放しで実感して、歓喜に酔うのである。
 ここにもまた、儒教の誠の精神が別の一面を投げかけている。この境地を鬼貫ならば、「只、わが平生の気心、高天が原に遊んで雪月花のまことなるに戯れ神妙をしらば、目に見えぬ夢の浮橋、足さはらずして踏むに心よき地、平平ならん」(『俳諧高砂子集』序)と表現するだろう。
 このように考えてくれば、象徴詩人露風、宗教詩人露風に続いて、三鷹時代の露風を「誠の詩人露風」と称することができるであろう。


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